・康徳寺の歴史

創建は古く、白鳳時代(672−)と言われています。
大田庄の豪族によって建立され、当時の宗旨は、法相宗(奈良・薬師寺)か華厳宗(奈良・東大寺)あるいは天台宗(比叡山延暦寺)とも伝えられていますが定かではありません。
記録に現れるのは宗旨を臨済宗に改め、名僧石室善玖和尚を開山として迎えた文和二年(1353年)ごろからです。
寺勢は盛んで、当時、寺内に大善寺、西福寺、岡之坊など12の子院がありました。
これは、現在の寺町の集落をすっぽり包み込むほどの広大な寺域です。
これらの昔の寺名は、現在田圃の名前として名跡をとどめ、使われています。
当時の盛んな様子を芸藩通誌は「備後第一の禅林」と記しています。
しかし、その寺も慶長年間(1596−1614年)、広島城主福島太夫正則によって焼き討ちに遭い(大田八幡宮略縁起)、
本寺一つを残してすべて灰になりました。
現在の寺は江戸時代はじめ、地元の庄屋松本助兵衛によって再興されたもので、知道住職は石室善玖和尚から数えて25代目にあたります。



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